未開の惑星

 僕たちは半重力バイクの調整をしている。空に浮かんだ気球都市の向こうでは数えきれないほどの星が手を伸ばせば触れそうな距離で輝いている。目の前には気球都市とこの惑星を繋ぐ直径2メートルほどのケーブルが続き、僕たちはバイクを起動し、跨り、ケーブルの上を空に向かって走り出す。

 どんどん地面は離れ、僕たちが住む海辺の校舎は小さくなっていく。バイクの振動が体中に響き、風はそれほど感じない。陽の落ちることのない空は明るく、上へ登れば登るほどまわりの色彩が薄れ、あたりの輝きは増してくる。

 気球都市の底から臍の緒のように伸びるケーブルの付け根が見えてきた。その横にはぎりぎり通り抜けられそうなほどの通風孔が空いている。それぞれが体制を整え、僕たちは一列となって速度を落とすことなく通風孔の中に飛び込んでいく。

 気球都市には僕たちよりも少し幼く見える子供たちだけが住んでいる。彼らは静かでおとなしく、目的もなく真っ白な街の中を歩き回っている。僕らはバイクから降り、めいめいの道具を手にもって彼らに襲い掛かる。

 体は簡単に砕けた。あらわになった内臓は機械でできていて、ひとつひとつ拾い集めながらリュックに詰めていく。割れた頭蓋からガラスに包まれた脳みそが覗いている。この中身さえ壊さなければ、天上の子供は死ぬことなく地面を這いずりながら自らの体を再建し、そして頃合いを見計らってまた僕らは収奪にやってくる。

 3、4人ほどの体の部品を集めたらもうリュックは一杯になる。僕らは来た時と同じようにバイクに跨り、通気口を抜け、浜辺の校舎に向かってケーブルを走り下りる。

 ゴミ捨て場そばの駐輪場にバイクを止め、僕たちは教室に集まり、リュック一杯に詰められた部品を床に広げる。教室の後ろに片された机に寄りかかりながら友達が談笑している。これら部品の中からから使えそうなもの、必要なものをより分けて、僕らは宇宙船造りの続きに取り掛かる。あとどれほど気球都市に上がればいいのかわからないほど、造りかけの宇宙船は心もとなく骨組みを露わにしていた。

 ある日のこと僕はひとり図書室いた。本を捲る手を止めふと窓の外に目を向けると、ケーブルを走り下りる友達と同級生たちが見えた。収奪は簡単な作業で、僕たちは慣れ切っていた。だから僕は軽い気持ちで収奪をサボり、まだ宿題が終わっていないふりをした。

 暫くすると廊下から悲鳴が聞こえてきた。僕は慌てて図書室を飛び出し、教室へと向かう。

 教室に入ると一人のバラバラになった女子生徒が目に飛び込んだ。パニックに陥った友達の話を聞くと、天上の子供たちに反撃され、何人かがまだ取り残されているにもかかわらず通風孔が閉じられたらしい。

 床に横たわり、虚ろな目で痙攣している女子生徒の引き裂かれた制服と皮膚の下から機械が覗いている。これでもう僕らは宇宙船を完成させることはできないだろう。

 校内放送が鳴り響く。無傷で無事な生徒だけ校舎を出て、校門前の砂浜に集まれと指示が出る。

 父さんからよく彼が子供だった時の話を聞かされた。通っていた小学校は砂浜に面していて、休み時間になるたびに窓から教室を飛び出して、友達と砂浜で取っ組み合いをして遊び、ときには服を脱ぎ、波間に走り出して海に飛び込んだ。たぶん同じ景色を僕は見ているのだと思う。

 眼鏡をかけた教頭先生が波打ち際に僕らを並ばせる。5人の生徒を前にして教頭先生は言った。このまま海に入り、水平線で蜃気楼のように揺らぐ光まで泳ぎ着ければ、僕たちは家に帰れると。

 僕らは何も持たずに海に入っていく。水底は少しずつ深くなり、波は足首、膝、太腿、腰、お腹、胸へと上がってくる。

 つま先立ちでようやく立てるくらいのところまで来たときに、牛ほどの大きさの乳白色をしたウミウシが群れを成して僕らの行き先を塞いだ。

 溺れそうになりながら両手でウミウシの群れを掻き分ける。でもそれらは口から幾つもの触角を伸ばし、体に絡みつかせてくる。僕らを帰したくないのだろうか。他の生徒は次々と砂浜のほうへと戻り始め、僕もそれに続く。

 息も切れ切れに砂浜にたどり着き、鉄の味を口の中に感じながら喉にへばり付く海水を吐き出した。

 背後で何か倒れた音がした。振り向くと一匹のどす黒い液体を半透明のゼリーで固めたようなウミウシが同級生の上に圧し掛かっていた。最初は暴れていた体は次第に内側から波打ち始め、萎んだ風船のようにウミウシの中に取り込まれていく。

 それを見て僕は校舎のほうへと走り始める。腹部から生えた数えきれないほどの鋭い節足を細かく動かしながらそれは逃げる僕を追ってくる。柔らかい外皮が日に照らされ次第に形が変わり、上半身のシルエットが僕と仲のいい女性の音楽教師の姿へと成っていく。

 下駄箱を抜け廊下を曲がったところでついに僕は追いつかれる。背中に触れる廊下は冷たく、触手が胸に刺さる痛みを感じた。

 失うくらいなら殺したほうがいいのだろうか、自らの体に取り込んで一体となったほうがいいのだろうか。それは優しく、そして不快な感触で僕の体を包み込み、見慣れた音楽教師の輪郭をした顔らしきものを僕の顔にゆっくりと近づけた。

 かすむ視界に先ほど教室でバラバラになっていた女子生徒の姿が現れた。彼女は音楽教師の背後から右腕を深くわき腹に突き刺して、体の中で何かを握り潰す。目の前の口らしき穴の奥から、ブドウの皮を破いたような音が小さく漏れ、音楽教師は僕の体の横に顔から崩れ落ちた。

 神様も時には死ぬ必要があるの。女子生徒はそう言って、波打ち際の砂にめり込んだ足を引き抜くように、粘着質な泡をまぎ散らしながら右腕を引き出して僕の手を取った。

 体育教師がやってくる。彼は女子生徒を見てお前はいつも元気だなと言い僕の顔を覗き込む。いいか、そんな顔をしているから上手くいかないんだ、と僕の顔を両手で包み込み痛いほどに握りこんだ。

 僕は立ち上がって窓に映る自分の顔を見た。両目はあごの位置まで落ち込み、鼻はわずかな突起を残しておでこについている。そして貪欲な鯉の口のようなものが顔の真ん中で声を出すことなく開閉していた。

 これでウミウシの奴らはお前に気づくことはないだろう。

 体育教師に連れられて僕はまたひとり海辺に立つ。遠く校舎の窓から彼女が手を振っていた。僕は思い切って海に飛び込み泳ぎ始める。

 体は軽く、水を掻くごとに体は静かに滑り続ける。音楽教師に押さえつけられたときに痛めた左腕が上手く上がらない。いびつなクロールのリズムが僕を前へ前へと推し進める。水は透明に澄んでいて、口から両肺を吹き抜けていく。空は突き抜けるほどに明るく、僕は静寂の中ついに水平線の光の揺らぎに泳ぎ着いた。

 まるで夏の教室のカーテンのように光は揺らぎ、その隙間から漏れ出る風のように一筋のスロープが水面に伸びていた。

 僕はスロープへと体を引き上げて、一歩一歩ゆっくりと足を進める。指先でそっと光に触れ、僕はその中に入っていく。

 視界が急に暗くなった。目を細めて、瞳が暗さに慣れるのを待った。

 そこは宇宙船の中だった。宇宙服を着た船員たちが僕を歓迎した。おめでとう、君は11人目のメンバーになったのだよと言って彼らは笑顔で僕を取り囲む。船は地球へ向かっており、もう心配することは何もないと説明を受け、僕は心から安心をした。そして校舎に残してきた友達や同級生たちのことを少し思い出した。

 船内はプールほどの大きさの一室のみで、正面にある操縦席の窓からは漆黒の裡に輝く星々が見えた。照明はなく、窓から差し込む星の光だけがうっすらとまわりを照らしてる。夜も昼もない暗い部屋の中、操縦席のそばにたった一つだけ備え付けられている寝台に僕は案内される。皆が立ったまま嬉しそうに僕を見ている。僕は疲れ、礼を言いながら固い寝台に体を横たえ目を閉じた。

 テレビはたったいま終わったドラマの次のシーズンの宣伝を流していた。「11人目の宇宙飛行士」。ソファに座り、さっきまで僕は画面に映る自分自身のドラマを観ていた。右隣には真っ白な服を着た顔もわからないほどに白い肌を持つ金色の髪をした女性が座っている。左隣には同じく真っ白で金色の髪をした巨大な男が座っていた。そして真っ白な部屋の中でソファは遠近法の消失点へと消えていくように左右に伸びていた。色のあるものといえば、目の前にあるテレビと金色の髪、そして僕の手の中にあるタブレットだけだった。

 自分自身の姿をもう一度確認したいと思い、手の内にあるタブレットで番組を探す。しかしいくら捲っても「11人目の宇宙飛行士」が見つからない。

 しかたなく左隣の男に聞くと、彼はめんどくさそうに手を伸ばしてタブレットを操作し、ひとつの番組を指し示した。全身を緑がかった青色のフジツボに覆われた人型の何かが砂浜に横たわっている画像がそこにあった。僕はまた思い出す、校舎に残してきた友達や同級生たちのことを。右隣に座っている女性がそれでいいのと慰めるように優しく僕に声をかける。そして部屋は少しずつ暗くなり、僕は目を覚ます。

 横になって見る宇宙船の中には誰もいなかった。エンジン音も聞こえない静かな部屋の中で、窓から差し込む光だけが凍り付いたように操縦席を照らしている。

 起き上がり、寝台に座ったままあたりを窺う。誰かがいた痕跡は何もなかった。

 夢の中で僕は僕自身を観ていた。足元に視線を落とすと、床に無秩序に刻まれた傷が寄り集まり、意味が浮かび上がってくる。そしてやっと気づく、床一面に刻まれた人の名前を。同じ名前はひとつとしてなく、11人よりも遥かに多かった。僕は自分の名前を探す、名も知らない船員たちの名前を探す、遥か遠くに残してきた人たちの名前を探す。金属の床を抉るように刻まれた線の淵が、妖しく暗い光を放ち、叫び声をあげている。触れたら簡単に指先が切り落されてしまうだろう。船は音もなく進み、僕はひとりきりだった。

 最初は窓に映る小さな点だった。それがだんだんと大きくなるごとに青みを帯び、地球へと生まれ変わっていく。見える景色は眩しいほどの青色で塗りつぶされ、船体は徐々に激しい振動に見舞われた。

 そして懐かしいような衝撃とともに船は着陸をする。船体の後部にある扉が気怠そうな音を立ててゆっくりと開き、光と匂いを持った空気が流れ込んできた。僕は床に刻まれた名前を踏み越えながら出口へと向かう。

 外に出て最初に気づいたのは見慣れた校舎だった。僕は自分が遥か彼方に置いてきた学校にまたたどり着いたのだった。ただここには砂浜も海もなく、明るい空に瞬く星も、天上の子供たちもいない。校庭を隔てるネットの向こうには住宅が立ち並び、車の騒音が風に乗って聞こえてくる。

 宇宙船は運動場に降り立っていた。そして僕は船を後に歩き出す。通い慣れた通学路。校門を抜けて20分ほど歩けば家はもうそこにある。誰もいない帰り道、見慣れた景色。何も感じず、疲れもない。玄関を開けて靴を脱ぐ。誰もいない家の中で、僕は僕自身に向かってただいまと言った。